続・カルチュアどんぶり画像

金平茂紀(かねひら・しげのり)

1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」「沖縄ワジワジー通信」など多数。

#19 『バードマン』の毒気、イニャリトゥの戦意

2015/03/24


『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』より  4月10日(金)、TOHOシネマズ シャンテほか 全国ロードショー 配給:20世紀フォックス映画
クレジット:(c) 2014 Twentieth Century Fox. All Rights Reserved.

今年のアカデミー賞受賞作品(作品賞・監督賞・脚本賞・撮影賞)『バードマン』をみた。僕は本当にこの作品が大好きだ。それしか言いようがないね。大体、この作品自体が、いっさいの批評や論評を拒んでいるようにみえるほど、テーマの一つは、批評家に対する徹底的な戯画化なのである。てめえらに何がわかるっていうんだ、と監督のアレッハンドロ・ゴンサーレス・イニャリトゥは映画を通じてメッセージを投げかけてくる。おそらくニューヨークタイムズ紙を想起させる演劇論壇の批評家を罵倒しているのだと思われるシーンが暴力的で圧倒的にいい。登場してくる批評家や評論家や記者たちは屑みたいな人物ばかりだ。役者たちも誰一人まともではない。でも現実なんてそういうものだ。タイトルの副題になっている「無知がもたらす予期せぬ奇跡(Unexpected Virtue of Ignorance)」は、劇中劇に対してニューヨークタイムズを思わせる新聞が掲げた大激賞の見出しを引用してつけられたものだ。この喧嘩腰がいい。すっかり商品と化し、売れることこそが至上命題となった劇場演劇のありよう、ネット上のアクセス数ばかりを気にする演劇関係者たち、病んでいるとしか思えぬマネジャー、うらぶれた裏方さん、唾棄すべき批評家、そして観客たちのありよう全体を、根源的に皮肉っているという言い方もできるが、何を書いてもこの『バードマン』の前では、餌食にしかならないのだ。カメラワークもドキュメンタリー・タッチで大成功しているし、役者のマイケル・キートンのほとんど自画像をさらしているみたいな演技にも圧倒される。映画のなかで、主人公が裸でブロードウェイ大通りを歩かざるを得なくなった不条理劇的な状況のシーンが可笑しくて、可笑しくて。この笑いの質はハリウッド産のコメディとはどこか異質のものだと思った。それではっと思いだしたのが、バスター・キートンだった。おんなじキートンということで。主人公が必死で真剣になればなるほど可笑しくて笑いが噴出してくる仕組み。共演しているエドワード・ノートンは若いころの突っ張っていたジョン・レノンにそっくりだ。主役を食ってしまう性格まで地をさらしている。それにしても、アメリカのアカデミー協会がこの作品を最優秀作品賞に選出したこと自体が、この映画のテーマと激しく化学変化を起こしかねないのではないか。韓国のキムチが嫌な匂いの代名詞に使われたり、英語が全くわからない日本人取材記者がおちょくられていたりするシーンがあるが、それは僕らが実際に知っている真実の世界の一部なのだから何も目くじらをたてることはない。これまでの『バベル』『21グラム』も素晴らしい作品だったが、とにもかくにも、イニャリトゥ監督の飽くなき戦意には感嘆するばかりだ。こんな批評もどきの駄文はもちろん「クソくらえ!」と彼は言うだろうが。アカデミー賞授賞式でイニャリトゥは一体どんな挨拶をしたのだろうか。「ホンモノの芸術は仲間の映画作家がいてこそできるものです。さえない中年男が主人公の、こんなクレイジーな映画がオスカーに輝くなんて、いまだに信じられません」という具合に、すごく喜んでいたらしい。すばらしい娯楽作品『バードマン』に乾杯!