続・カルチュアどんぶり画像

金平茂紀(かねひら・しげのり)

1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」「沖縄ワジワジー通信」など多数。

#20 片脚で屹立する意志の美しさ

2015/09/21



写真:齋藤哲也

井桁裕子  「片脚で立つ森田かずよの肖像」 2015年<桐塑、油彩 H100cm 頭部後ろ側にサイン

ああ、実に半年ぶりのアップデイトだ。でも、書かなければならない気持ちになった。

全く未知のアーティストの個展に足を運ぶ時はいつも少し緊張する。井桁裕子さんについて僕は何も知らない。その世界ではきっと名前の知られている人なのだ。僕はただの一観客だ。今回も一枚のチラシ(ネット上の)に魅入られて足を運んだのだ。会場は以前、大竹昭子さんの写真展≪NY 1980≫をやった南青山の「ときの忘れもの」という小さなギャラリーだ。井桁さんの新作≪片脚で立つ森田かずよの肖像≫という作品を中心に、彼女の焼き物の作品が展示されていた。圧巻はやはり≪森田かずよの肖像≫だった。本当にみてよかったと思う。会場に井桁さんがいらっしゃったが、他の人と熱心に話をしていたので声をかけるのをためらって、結局お話をすることもできなかった。だが、井桁さんの作品をみていて、この人は作品に登場する人間の顔の表情に非常にこだわっているのだなと思った。顔の部分とそのほかの造形との関係がとても重要なのだ。それは≪森田かずよの肖像≫についても言える。毅然とした表情の顔の部分と、障害をもった体の筋肉のねじれをともなう造形的な存在感、そしてその全体を支えている片脚のまっすぐな強さ。片脚で屹立している意志の強さが美しい。圧倒された。このモデルとなった森田かずよさんについても僕は何も知らなかった。重い<障害>を抱えて生まれた森田さんは、演劇やダンスをやっているという。<障害>を違いとしてそのまま表現したいのだとどこかの民放テレビのミニ番組のなかで語っていた。<障害>といわれている欠落や欠損、変形をそのまま認め受容すること。そこに当たり前の美しさを見出すこと。これはその社会のありようとも関係してくる。以前に見た写真家・石内都さんの≪キズアト≫という写真群で同じような感情に襲われたことがあった。キズを直視するまなざしから愛が生まれる経験などそれほど多くあるわけではない。だが石内さんの作品からはそうなったのだった。井桁さんが森田かずよさんとどのような邂逅を経て作品に辿りついたのかはわからない。ただギャラリーに展示されていた≪森田かずよの肖像≫は強靭な、そして敢えてこういう言葉を使うのは怖気づくのだけれど、聖なる美しさを放っていた、と僕は思う。
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 上記の文章を書いていたら、何と翌日に森田さんのレクチュアが横浜の<障害×パフォーミングアーツの可能性>というシンポジウムであることを知って、さっそく足を運んだ。初めて森田さんにお会いした。Sarah Pickthallさんらのお話も素晴らしかったが、森田さんのお話は、短いが濃密なものだった。かつて芸術系の大学入学を志したが、どこも受験できず、障害者がアート表現に触れる機会がこれほど大変なのだと身をもって知ったのだという自身の経験談。身体を動かすモチベーションについて、学校時代に体育の時間に「お荷物」扱いされた経験から多くの障害者たちが身体を動かしたいというモチベーションを持ちにくくされているという話。パラリンピックでさえ、後天性の障害者中心で、先天性の人々のものとはなりにくいという現実。自分の身体を動かすことは気持ちがいいことで、それが表現に発展することになること。「障害のある人、ない人」という表記で、本当にそれでバリアーは薄くなるのか、という問題提起。「唯一無二」と言われることは果たしていいことなのか。表現の社会は、社会の縮図である、という冷徹な認識。森田さんの主張を聞いていて、僕は、南青山のギャラリーに展示されていた≪森田かずよの肖像≫の意味に少しだけ近づけたような気がした。


■井桁裕子 Hiroko IGETA(1967-)

1986年頃より球体関節の人形を制作。1990年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。デザイン会社に勤務後、個人でイラストレーターとして仕事をしつつ作家活動を行なう。大学在学中から本城弘太郎氏に師事、人形制作を学ぶ。その後、桐塑などの技術をエコール・ド・シモンにて四谷シモン氏に学ぶ。1996年頃から、実在するモデルの姿をもとにした肖像人形の制作をライフワークとしている。対象となる人物と交わされた会話、互いの現実との間に生まれるイメージなどを織り込んだ造形を、その都度模索しながら制作する。2004年「球体関節人形展・dolls of INNOCENSE》(東京都現代美術館)に出品。2006年舞踏+人形《Double-ドゥーブル》公演(ストライプハウスギャラリー/東京)、映画《アリア》(2006年)・《ハーメルン》(2012年、ともに坪川拓史監督)のための人形を制作。他にも《あの窓のむこうから~人形作家の絵と人形展》(2011/ぼらん・どぉる)、《世界創作人形展》(2010/丸善・丸の内オアゾ)、《人・形展》(2006~2011/丸善・丸の内本店)、《World Dolls》(2008/モスクワ、マネージ広場中央展示ホール)等出品。2010年、2012年、2015年ときの忘れもので個展開催。