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金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」など多数。
#5 「殺すな!」と「殺せ!」のあいだには…
2011/03/06
チュニジア・リビア国境から脱出してきた人々(チュニジア側にて 筆者撮影)
リビア情勢の取材をチュニジアでしている。
現場に出るといろいろなことを考えさせられる。報道の仕事をしていて自分の中の「変えてはならない」信念のひとつは「殺すな!」という言葉に集約される。「何を寝言、言ってるの」という人もいるだろう。けれども僕はそれを変えるつもりはない。殺しては何にもならない。存在を抹消することは何の可能性も生み出さない。
80年代末から90年代初期にかけての東欧民主化ドミノ現象のなかで、ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が銃殺される現場を、お祝いの言葉とともに放送した「解放された」ルーマニア国営放送をみて、とても嫌なものを感じた。彼らは裁判にかけられるべきだった、と思う。
チュニジア・リビア国境からは夥しい数の人々がリビア側から脱出してきている。彼らの思いには、内戦になったら殺されるかもしれない、という恐怖がある。誰でも殺されるのはいやだ。リビアのカダフィを「中東の狂犬」として「殺せ!」という声があがっている。カダフィ政権側は反政府勢力をどんどん殺しているじゃないか、と。だから「殺せ!」と。アメリカはかつてカダフィ暗殺を試みてピンポイント空爆を行ったことがある。国家が「殺せ!」という決断を行うことは珍しくない。ひとつは「死刑」がそれであり、もうひとつは「戦争」がそれである。民主主義の国アメリカにおいても、そのようなことが公然と行われ続けている。さすがにヨーロッパ諸国は死刑制度は廃止している。
「殺すな!」と「殺せ!」のあいだには途轍もない隔たりがあるようにみえるが、実は、良心が目をつむって現実を飛び越える瞬間というものがあるのではないか。その場合、「殺すな!」から「殺せ!」へのあいだは、ほんのひとっ飛びになるのかもしれない。死刑反対論者だった千葉景子元法務大臣が、死刑執行命令書に署名したうえで処刑に立ち会ったという事実の重みを、僕は戦火が続くリビアの隣国でいま考えている。