- トップ >
- 変えてはいけないもの >
- #20 生きていれば喜寿だった人へ

金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。2010年10月からは「報道特集」キャスターを務める。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」「NY発 それでもオバマは歴史を変える」など多数。
#20 生きていれば喜寿だった人へ
2012/06/23

きょう6月23日は貴方の誕生日ですね。ご存命であれば77歳。喜寿のお祝いをしている日になっていたでしょう。もっとも貴方は年齢を重ねるごとに、お祝いなんて真っ平御免だという感じで、還暦の時にスタッフが用意した赤いチャンチャンコを断固拒否してたりしてましたものね。
暗澹たる日々が続きます。現在のメディア情況のことを言っているのです。かつて『ニュース・ステーション』『筑紫哲也NEWS23』が並立していたあの時代は、今から考えれば一種の黄金時代だったのかもしれないですね。けれども嘆いていても何もならないのです。捕りもの帳報道に走る若いスタッフたちや、訳知りの政局談義が政治報道だと勘違いしている輩や、批判精神を失った広報係もどきを生み出したのは、僕ら、より長く生きてきた世代の責任です。だから、隣の人から変えていかなければならない。前を歩いている人から変えていかなければならない。後ろを歩いている人から変えていかなければならない。敢えて衝突しても。
おそろしい勢いで<3・11>さえ風化しています。原発事故もまるでなかったかのような展開がいま、目の前で繰り広げられています。偏狭なナショナリズムが身近なレベルで台頭してきています。いま、だれが、何を言っているのか、しっかりとこの目で見ていこうと思います。
かつて貴方とマージャン卓を囲んでいた方々が、貴方に呼ばれるようにそちらに旅立たれています。そっちは賑やかですか?
でもねえ、今ではそっちにいる清志郎がかつて、ジョン・レノンの『イマジン』を翻案して歌っていましたね。
天国は ない
ただ 空が あるだけ
現実を直視すること。
これが今、自分に課された最低限の<倫理>です。では、また。
echo RETURN_TOP; ?>