新・明日への伝言

この国のガン

浅野 拓斗(三期生)

筑紫さんが「この国のガン」と現在の日本を描写した意図をまず考えてみたい。筑紫さんが言っていたのは、「日本は『未来にも投資せず、過去にも投資せず』、どこにも国のエネルギー(国家予算)が費やされていないし、むしろどこに国のエネルギーを費やすべきなのか考えることにエネルギーが費やされてしまっている」ということであった。私が考えるに、筑紫さんは現在の日本が自国のかじ取りの方向性を定めることができないまま、世界という大きな流れのなかでただ単に流されてしまうということを憂慮していたのではないかと思う。

では、なぜ日本は「進むべき方向を見失った、あるいは見定められていない国」になってしまったか。私はこれを日本という国が、目にみえる価値だけを重要視し、目に見えない価値を軽視する国となり下がってしまったからではないかと考える。私はこれこそがこの国のガンであり、この問題を取り除けない限り、日本が明るい未来をもたらすことはできないと思う。

私が意味する「目にみえる価値」というのは、科学や数字で実証できる価値という意味である。現在の日本はいまだ経済成長をのみを重視するように、数字で実証できるものを過大評価しているような気がする。もちろん、経済的な繁栄は重要なことであることかもしれないが、はたして劇的な経済成長をしたことで国民は本当に「幸せ」になるのだろうか。「幸福」という概念は非常に抽象的で、非科学的なように聞こえるが、こうした「目に見えない価値」をもう一度思い出す必要があると考えるのである。たとえば選挙である。科学的に、統計的に考えると自分の1票で国が動く可能性などほぼ皆無である。そのためにわざわざ投票に出かけることは、目に見える価値だけを追求するとわずらわしいこと、面倒くさいことに過ぎない。しかし、国民一人一人が国の進むべき方向を真剣に考え、それぞれの1票を投じることは、物理的な国の変化よりも重要なことではないのだろうか。

日本人は元来目に見えないあいまいなモノを好む国であった。生きとし生けるものすべてに神が宿り、深い信仰心をもっていた。またそれと同時に、白黒はっきりさせることを嫌い、ものの両義性を大切するような国であったように思える。しかし現在の日本は物質的価値のみを是とし、科学で立証できないものに対してはおおよそ関心を失った。人の宗教心は薄れ、人はモラルを失い、まるで機械のように働き、夢をもつことを忘れ、自然に0か1か、正しいか誤りかというロボットのような判断のみを下すようになったと思うのだ。日本がもう一度、忘れてしまった「目に見えない価値」に光を当てて考えてみること。これが達成されたときに初めて、日本は正しいエネルギーの使い道を見つけ出すのではないだろうか。

筑紫さんの意図「エネルギーの費やし方がわからない国」
    ↓なぜか?
「国の方向性が定まっていない」
なぜか?→私が考えるガン=「目に見える価値だけに執着し、目に見えない価値を見失ったから