新・明日への伝言
この国のガン〜こんな日本に誰がした〜
戸松 朗(二期生)
それまでは問題とされていなかったような問題が提起されるようになっている。日本は「新自由主義」の考え方を進めるアメリカに追従してきた。アメリカ型の「新自由主義」とは人間的、社会的調和よりも利益を稼ぎ出す市場そのものを大事にするシステムである。日本はバブル崩壊後の「失われた10年」を取り戻すべく、アメリカ流の市場原理を重視してきた。それは日本社会に多大な影響を与えた。
市場原理を重視し、規制緩和を本格化した小泉元首相は、「格差が生まれるのはいいことだ」とまで言い切った。努力する人が報われるべきで、努力しない人は報われなくても仕方がないという自己責任論を声高に叫んだ。それはある「弱気を挫き、強気を助ける」強者の理論である。それは「消費者主権」を過度に助長するシステムでもあった。
アメリカ流の市場原理を重視した結果、歪んだ消費者意識が生まれた。消費者意識は市場を抜け出し、公共サービスの場である教育現場にまで波及している。自分の子供が注意されたことに逆上して職員室に乗り込み、延々と不当なクレームをつける「モンスターペアレント※1」の問題についてのニュースを最近よく見かけるようになった。保護者の対応に追われる教職員は膨大な時間を奪われてしまい、本来生徒たちのために使う時間がなくなってしまうという。従来は及んでいなかった「消費者主権」の射程が教育現場にまで広がり、一部の保護者は教師に対して不当な責任追及をするようになったようだ。
問題は枚挙に暇が無い。こうした問題は政治、経済、教育などといった分野のさまざまな要因が層を重ねて絡み合っている構造的な問題だ。だから原因を特定することは極めて難しい。「誰のせいなのか」、責任の所在はどこにあるのだろうか。それも明確には分からない。だからと言って、問題をすぐさま「他人の責任」にしてしまうのはあまりに軽率だ。そうする前に、立ち止まって考える必要がある。
その点について筑紫さんは、学生に対してあきらめ、無関心、無知、無感覚になってはいないか、問題を放棄していないか、責任を放棄・転嫁してはいないかと警鐘を鳴らしていたように思える。そうした態度をとること自体、筑紫さんの言う「ガン」だったのではないか。筑紫さんが「日本の若者たちの目には輝きが無い」と言ったとき、それは私たちを奮起するために言っていたのではないか。「お前ら『ガン』になるなよ」と。
筑紫さんは日本が「本来使うべきところに使うエネルギーを、関係のないところで使って」いる、「ガン」にかかっていると言っていた。しかしその目は具体的な問題に対してというよりむしろ私たちに対して強く向けられていたように思える。ガンは何もしなければ全身に転移し体中に蔓延してしまうが、しかるべき治療をすれば治る。療養の合間を縫って大学に来てくださった筑紫さんの講義を受けた一ゼミ生として思うことは、筑紫さんは我が身を以ってそのことを私たちに伝えようとしていたのではないかということである。筑紫さんが「この国の問題」ではなく、あえて「この国のガン」という題目にした理由は、まさにそこにあったのではないだろうか。
※1 学校に対して自己中心的で理不尽な要求を繰り返す保護者のこと。