新・明日への伝言

この国のガン

大西 真央(二期生)

「この国はガンに侵されている」―筑紫教授はこう言い残してこの世を去った。この最後のメッセージから私たちは何を汲み取り、それを踏まえてどう進んでいくべきなのか。このことを以下に検討していく。

始めに筑紫教授のコメントについての自身理解を述べる。同教授は「政治とは本来、世代間におけるπの奪い合いである」と主張する。これは世代とは主に「未来(若年)世代」と「過去(老年)世代」に分類され、それらに対する投資(教育や福祉など)配分の決定と遂行を行うのが政治である、ということだ。つまりここでのπとは投資資金を指す。その上で彼は、日本政治が陥っているこのオペレーションの不具合をガンに侵された人間に喩え、「本来なされるべき適切なポートフォリオが組まれておらず、限られた投資資金があらぬ方向にながれている。このままでは国家の存亡が危うい。」と指摘した。そして最後に『ガン』という明白な敵に対しての向き合い方を『戦い』か『敗北』という二者択一のものとして提示し、その選択の如何を問うたのだ。

次に、この問いに対しての考察を行う。筑紫教授は、この国において、「ガン」を道路などのように大型投資先としては不適な投資先、「栄養」を国家の投資資金としてみたてた。そしてその栄養がそのガンとの闘いのために使用され、本来送られるべき箇所には十分に行っておらず、人間本来の免疫力を高めることができていないというこのままの状態では、その人間本体はガンに食われて死亡に至ると主張する。実際におけるガンとの闘い方(治療法)とは、「手術・放射線・薬物」であり、これらはガン細胞を破壊や増幅の抑制を目的とする。しかし一方で、これらは正常な細胞も痛めることにもなり、同時にガンの促進を招くなど結果的に死を早めることにもつながる。つまり治療の決定の際には、治療後の再発防止や副作用の軽減、さらには治療効果の向上などが検討され、その決定における前提条件として、人間自身が持つ免疫力の有無が必須となるのである。

これを国家の状態に置き換えた場合、この「免疫力を生産する母体の細胞」が「国民」であり、その「免疫力」こそが「国民一人一人の意識」と考えうるのではないか。同教授は多事争論の始めに「国民はよく『政治の中身が解らない、何が選択肢なのか解らない』と言う」と話していた。これは国民が理解する機会が与えられていないという解釈もできるが、それと同時に「国民自身が解ろうとしないから」という解釈も可能だ。確かに同教授の「テレビでは時間の制約がありなかなか十分に伝えることができない」との意見も理解できる。しかし、視聴者という位置にいる国民における、この「テレビを見る」という行動は、必ずしも受動的な行動形態とは言えなくとも、だからといって積極的な行動形態であるとも言えない。むしろ大方受動的な行動に等しいといってもよいであろう。何事も与えられるだけでは真の意味での理解など不可能であろうに、その上それが限定的な付与であれば、単なる情報の知覚以外の何物でもない。

体内のオペレーションを司る部署に対して、栄養分配能力を憂い、その責任を追及するだけの細胞組織ならば、それ自体がむしろ不十分な組成である。なぜならばそれら自身、つまり各細胞群の最大集合体が身体であるからだ。まずはめいめいの細胞自体が自身の組成を見直し、そのあり方を進化させていくことが肝要である。その進化エネルギーこそが免疫力であり進化形態が抗体であるからだ。そうすれば自身だけでなくその細胞群の体力・活力の向上にも匹敵する。その前提がなければ、どれだけ画期的な治療法を用いても、それは単なる攻撃的な措置にとどまり結局はその本体を死に至らせることとなるのではないか。