新・明日への伝言

この国のガン

植野 美緒(一期生)

この国のガンは、私が思うに「孤独」です。

私が当時、学生であったとき、筑紫ゼミに参加した志望理由は、社会人になるのが嫌だったからで、その時、自分が社会に対して思考していること、自分のもちたいと思う生活のスタンスが、仕事につながっていけるとは思えず、さらにどのようにしたら、「スローライフ」や「環境破壊の問題」などに一人の人間として関われるのだろうかと、しがない学生はそうやって、思案して、何か勇気が欲しくて、このゼミに参加した気がします。筑紫哲也は、当時、悶々としていた自分にとって、完全に希望の光でした。きっと、他の学生にとっても、それは同じだったと思います。光に導かれて、みんなが集まったのです。

話はそれましたが、私が、今、社会人になって、とても「孤独」を感じています。

もちろん、仕事場によって様々でしょうが、仕事を始めると、多面体だった自分が急に、平面化した気がしました。そのため、とても息苦しいのです。一人暮らしの私にとって、学生時代とは違うところに住んでいると、ほぼ生活の中で顔をあわせるのは、仕事場の人たちだけです。仕事の場の人たちがどうのということではなく、居場所が1つしか与えられなくなるのは、人にとって、とても悲しいことではないかと思うのです。

誰でもわかっていることだと思いますが、人間の価値は「仕事」だけではないはずです。もちろん「学力」だけではないし、「お金」でもない。本当は色んな価値があって、色んな考え方があるのに、社会人になって、そういうことが、ままならない状況にあると日々生活の中で感じるのです。

今の日本の状況を感覚的ですが、私なりにとらえると、1つの場所に所属することに重きが置かれ、それでいて所属していながら、みんな「孤独」です。

みんな何かに所属して、その檻の中で暮らします。その隣の檻のことは、中に入るまでほとんど分からない。だから無関心。自分の檻の中だけで気が狂ってしまうのです。接することがないのです。野良犬にも最近会いません。つながりがありません。

でも、今、思うに筑紫ゼミという桃源郷には、「つながり」がありました。みんな違う考え方で、違う国の人もいたし、社会人もいたし、学部も違ったし、視座も色々だった。現在だけでなく、過去を追い、未来を見据え、自分達の知らない場所に足を踏み入れ、そこにいる方々に話を聞いた。私たちはそうやって、時間や人と繋がっていることを実感しながら、学ぶことができました。

それは実際に自分と違う人間と顔をあわせ、知らない場所に直接行くという筑紫さんというジャーナリスト的な現場主義にも思えますが、それだけではない、そこから広がる「想像力」の大事さを知った気がします。そして、そのつながりがあると実感できたからこそ、「そこから何かが連鎖して、何かを変えることができるかもしれない」としがない私のような学生が思えたのかもしれません。だから、こういう場を一つでも多く作り、参加することがガンの特効薬であると思います。希望の光とは、そういう場所なんだと思います。