新・明日への伝言

この国のガン

宇都 寿(二期生)

「すべての人にとって絶対的な真実はない。だから本能的にコインを手にしたときにもう一方の側をみてしまうのです」。news23においてアメリカの放送局にいるカナダ人ジャーナリストが語った言葉だ。

この国のガンとは、「白と黒のようにはっきりとした答えを求め、わかりやすさにひかれてしまうこと」にあると思う。きれいで威勢の良い言葉に疑うことをせず、その歯切れの良さを明確に示した人々が世間一般に受けているのはまさにその象徴であると思う。

ひとつの問題の先にあるものや、その問題がそもそも何が悪いのかを考えようともせず、切り捨ててしまう。ある立場に立った途端、自分と同じ意見でない人は全て敵になってしまうのである。悪いことは完全に悪いとされ、良いことはすべて良いとする。白か黒のどちらかで答えを出さなければならず、「灰色」は許されないのである。また相手のことや意見を知ろうとせず、人を平気で「死ね」や「何も分かってない」で切り捨てることができるインターネット上での罵り合いはまさにその象徴である。決して「コインの裏側」を見ようとはしない。多くの人が同じ土台で批判できるものはまさにその対象であり、公務員やマスコミなどに対しては異常過ぎるほどの批判の嵐である。そして、「公務員」や「マスコミ」といったひとくくりのイメージで考えられてしまうために良い行動をした時にはあまり注目はされず、何か良くないとされる行いに関しては「やっぱりか」と集中豪雨のように攻め立てる。重きに流れ過ぎてしまっているのが現状であろう。

だからこそ大多数が関心を寄せる事象、興味があるものがすべてを占めるようになってしまったように思う。高齢者は社会から切り捨てられ、この不況下で派遣社員は簡単に切られ、中堅以降の社員がリストラに遭い、ニートと呼ばれる定職につけない人々が多いこの状況に、人々は「仕方ない」や「なんでちゃんとせえへんかったの」「自分の責任や」としたり顔で話す。筑紫さんは日本人を表す日本語の古くからある表現として「盗人にも三分の魂」という例えをよく使われていたが、それはもはや「古い」表現になってしまったのかもしれない。

考え、悩むことは大変だが、切り捨ててしまうことは簡単だ。自分自身には関係のないこととすればいい。自分との関係を見出せず(そもそも見出そうともせず)、「自分に関係には関係のないこと」とシャッターを下ろせば、見向きもしないですむ。しかし本当に白か黒かの答えしかないのだろうか。その灰色に大切なことはないのか。そして悩み、考えようとする中で自分の想いが生まれる。これによって重きに流れるのではなく多様な意見が集まれば、本当の答えが生まれるように思う。重きに流れてしまう現状がこの社会をより混沌としたものにしているように思う。

ある側に立った時に自分と違うところにいる人のことはすべて見え、理解できているのだろうか。そしてそれは本当に絶対に正しいのか。

私はわかったつもり(・・・)になりたくない。常に理想と現実の間で葛藤したい。コインの裏側を見ようとし続けたい。