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新・明日への伝言

この国のガン〜鎮痛剤使いすぎの果てに〜筑紫さんが示した回復のための処方箋〜

大西 藍(一期生)

日本における悪性の事象、つまり「ガン」は枚挙にいとまがないが、ここではなぜその一つ一つのガンが発生時には見過ごされ、気付かないうちに他の事象とからみつき、転移に転移を重ねることで事態が悪化し、取り返しがつかなくなることを繰り返すのかを考えたい。

世界的な流れかも知れないが、少なくともこの国では政治・経済の分野においてあまりにも長期的な展望や対策を持っていないように思う。多くの場合が「一時しのぎ」だ。直近の懸案事項のみに注目し、それを対処できれば事態が解決したと思いこみがちな節がある。これでは応急処置にとどまり、抜本的な治癒にはなっていない。そして、問題が再び明るみになったときにはもう手遅れという場合が多々ある。

特に経済がそうだ。景気の変動はつきものだが、あまりにもそれに振り回されている。また商品やサービスの寿命が短くなり、提供者も消費者も踊らされすぎている。「とりあえず今業績を上げればいい」「とりあえず今が楽しけりゃいい」。半永久的に事態は好転し続けると思っているからこそ、少しの悪化が大ダメージとなる。

現在問題化している派遣切りなどはその顕著なものだ。非正規労働者は景気の変動による調整弁として、企業側が有利に利用してきた。今回の大量解雇もあくまで企業側の都合であるが、将来的なことを考えた時に本当にそれでいいのか甚だ疑問だ。

公共面では教育と福祉という、対象人口が多いにもかかわらず時間と費用がかさむ分野が等閑にされている。即効性はないが、私たちの未来に大きく関わってくる重要な分野であるにも関わらず、筑紫さんもおっしゃっていたように費用の分配がされていない。事態の深刻さはわかっていてもうわべだけあしらって後は見て見ぬふり。鎮痛剤・緩和剤的な対処療法ではなく、根っこから治さなければ「ガン」そのものを再発は免れない。

日本回復ための心構えとして、筑紫さんが提唱されていた「スローライフ」が思い出される。決して直結することではないが、じっくりと時間をかけて考えることが今こそ必要ではないのだろうか。日本人の平均寿命は延び、技術発展により自由に使える時間も増えたにもかかわらず、こんなにあくせくするのはなぜだろう。今やりすごすことが、後々負の遺産となっていくことを筑紫さんは警鐘を鳴らされていた。

張りぼてで性急につくった社会はもろく崩壊する。それに対し、筑紫さんが愛した京都も、またウィーンの町も長い時間をかけて暮らしの営みの中で形成されてきた。だからこそ、日々を丁寧に生き、問題を直視し、「ほんまもん」を追究する。このことこそが日本のガン根絶への糸口ではないだろうか。