新・明日への伝言

この国のガン〜この国のゲーテッド〜

黄 史華(こうさふぁ)(二期生)

悲しくなるような発言に出会った。 「生活習慣や価値観が異なる他者との相互理解には、時間的にも精神的にもコストがかかる。効率を優先し、格差拡大を当然視する現代日本の象徴的な変化だ。」※2

朝日新聞「ルポにっぽん」で「ゲーテッド・コミュニティー(要塞の街)」※3が取り上げられた際のコメントの中にあったものだ。このゲーテッド・コミュニティーに関しては、米国で80年代以降に急増したという。それは、日本の00年代における規制緩和により新しい富裕層が生まれ、こうして記事になるほどまでに開発が進められている現状と重なりゾッとする。また、ディベロッパー側の「治安悪化という欧米と同じ過程を経て、日本でもニーズが高まった」「富裕層がゲーテッドに住むのは世界標準」といった認識も腑に落ちない。しかし私が悲しかったのは、効率性の観点から他者との相互理解を安易に放棄してしまえるその姿勢だった。“Noblesse oblige.”※4 はどこへやら。まさに囲われ閉ざされた、「理想」のコミュニティーへ「いち逃げ」したのではないか。

だが、他者や社会全体に対する無関心はゲーテッドの住人だけであろうか。

筑紫さんは、対論『このくにの姿』(集英社、2007年)の「あとがき」でこう記している。

「中曽根康弘、渡邉恒雄の両氏の場合は、‥(略)‥『旧知』ではあっても、いわば『向岸』に居る存在と互いに見なしてきたところがある。それなのに、少なくとも私自身はこのご両人とこれほど距離が近いと感じたことはそれまでなかった。それはなぜなのか。‥(略)‥ 『向岸』と見えた人がこちら側に居るという時代とは、別のもっと巨大な『向岸』が在るということだろう。‥(略)‥この両岸を分かつのは論ずること、つまり『問答』を『有用』と思うか、『無用』と思うかのちがいではないか。」

肺ガン末期であったにも関わらず、それでも筑紫さんが私たち学生との時間を優先したのはなぜだろうかと考えたとき、「向岸」として私たちを見ていたのかもしれないと思ったことがある。若者のくせに第三者的視点から政治は変わらないものと捉え、蔓延するあきらめと政治的無関心、その結果としての低い投票率。番組でよく見られた「投票ぐらい行きましょうよ。」とは直接に言わなかったものの、まるで取材対象であるかのように私たちの話にもじっくり耳を傾け、問答を愉しもうとしていた筑紫さんがいたように感じる。

話をこの国のゲーテッドに戻すと、この初期ガンに対しても関心を持つことが求められるのであろう。「あなたは安心を買ってまで手に入れて、何をしたいのだろう。」問答を通じて相互理解を試みたい。

※1 朝日新聞2008年10月13日朝刊 2面 ルポにっぽん「富裕層 地域に壁」、齋藤純一・早大教授(政治思想)のコメントより引用。
※2 ゲーテッド・コミュニティーというのは、文字通りgateに囲われた街のことであり、具体的には、高さ2メートルほどの先端の尖った剣先フェンスと赤外線センサー、監視カメラ数十台に守られ、正面ゲート脇では数人の警備員が24時間態勢で目を光らせている、そんな住宅地を指す。
※3 「位高ければ徳高きを要す。高い身分には義務が伴う。」というフランスの諺