コロンビア大学漂流記

金平茂紀(かねひら・しげのり)

1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。
報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」など多数。

#25 大学キャンパスにスパイがいる?

2010/07/05


タブロイド紙のロシア・スパイ事件報道
アイビー・リーグをもじってスパイビー・リーグだとさ。

僕が籍をおいているコロンビア大学のウェザーヘッド東アジア研究所はInternational Affaire Buildingのなかにあり、この建物にはさまざまな国からの留学生、研究員、教授たちが集まってくるので、異邦人であることをあまり意識しないでいられる。もちろん英語がここの共通語だが、フランス語や中国語、韓国語、チベット語などさまざまな国の言葉が飛び交う。とりわけ僕の耳につくのはロシア語だ。僕自身が以前モスクワに暮らしていたことがあるので、ロシア語を耳にすると懐かしくなって、ついつい耳を傾けてしまうのだ。そしてロシア語を話している人の顔をみると、アジア系の顔立ちの学生だったりして、どこから来たの?と訊ねると、カザフスタンだったりすることがあった。ここにはカザフスタンからの留学生たちも結構いる。そしてもちろんロシアからの留学生もいる。

今、アメリカの大衆メディアが面白がって報じているニュースのひとつが、FBIによるロシア・スパイ網の大規模摘発事件で、ロシアのスパイだとして何と計10人を一斉逮捕してしまった。そのなかにはアメリカ社会のなかで10年以上普通に暮らしていて子供たちもいる3組の夫婦がいたりして、FBIの主張通りのストーリーだとすると、こんな冷戦時代のさなかのような出来の悪いスパイ小説もどきの筋書きに呆れてしまうのだが、そのなかに28歳の美貌のロシア人女性=アンナ・チャップマンがいたものだから、タブロイド紙などは書きたい放題のありさまだ。また、もう一人の女性シンシア・マーフィーもコロンビア大学でMBAを取得した経歴があるものだから、コロンビア在学中にクラスメートや教授をスパイ網に勧誘しまくっていたなどと某紙は書き散らしていた。ひどいもんだ。


フェイス・ブックにアンナ・チャップマンが載せていた肖像写真


同上。確かに美しいのだが・・・

アンナ・チャップマンはまたネット上のフェイス・ブックにも積極的に登場して、ロシア人のコミュニティのなかでは結構目立つ存在だたものだから、ここに掲げたような写真が流出している。確かに美しい女性だし。英語も上手で、たくさんのビデオ映像も残っている。彼女の父親は職業外交官だが、諜報関係の大物だとの記述もあり、彼女の別れた夫(イギリス人)は、メディアの取材に応じて、父親の強い影響で彼女は自然にその道に入っていったのだとか喋っている。

どのようなスパイ事件の摘発も、当該国とのあいだで強い緊張が生じることは明白なのだが、問題は、この摘発のタイミングだ。僕はたまたまG8, G20の取材でカナダのトロントにいたのだが、その席でもオバマ大統領はロシアのメドベージェフ大統領と実に緊密かつ友好的な個人的関係を持っていることを意識的にアピールしていた。G8出席に先立つ訪米で、メドベージェフ大統領は、オバマ大統領にハンバーガーを振舞われたりして気分上々だった。

ここからは僕の長年の記者経験からの推測だが、オバマ時代になってからの一連の米ロの蜜月関係構築に向けたリセットを快く思っていない人々が、アメリカ政府内には依然として確固として存在しているのだろう。大体、今回摘発されたロシア・スパイ網の監視は10年以上前のクリントン政権時代にさかのぼるというのだから、ずうーーーーっと彼らを監視していた人々が同じように今もアメリカの諜報機関CIAやFBIにいるのだ。僕にはそちらの方こそ脅威に感じるのだが、当分はこのロシア・スパイものはメディアで楽しみにされるのだろう。

もう10年も前の2000年にリリースされたロシアのパンク・スカ・バンド『グルッパ・レニングラード』の謎曲に「007」というのがあって、今度の事件報道をこのニューヨークで見ながら、久しぶりにその「007」を聞いたら笑ってしまった。今度の事件は笑うしかない。

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