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金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。
報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」など多数。
第9回 ハロウィーンと仮装出勤する社会
2009/11/3
今日(10月31日)はHalloweenというお祭りの日で、街を歩くと、魔女やお化けの奇抜なコスチュームを着た子供たちが、「Happy Halloween!」 とか「Trick or Treat!(お菓子くれないとイタズラしちゃうぞ)」 と言って陽気にはしゃいでいる。大人も、頭のところに角をはやしたり、結構過激な仮装をしている人もいる。今日は土曜日だけれど、きのうの金曜日の朝には、NYの街中を、ええっ!と思うような恰好で出勤している人々がいたのだった。笑ってしまう。まあ、日本だとあり得ないよな、と思うがここはNYなのだ。郷に入っては郷に従え。ただ、あんな過激な服装で職場についたら、どうするんだろう。みんなで大笑いした後に通常の仕事をしこしこと始めるんだろうか。いやいや、仕事になんかならないよなあ。でも、いいじゃん。ここはアメリカだ。文化の違いを受容して、同化してさ。
ブロードウェイの65丁目あたりを歩いていた時だった。僕の前方を、ブラジルのリオのカーニバルみたいな、ほとんど半裸の女性が腰を振りながら出勤している。ええっ!風邪ひくって。と、後ろを振り返ると、手術台の上に死体を乗っけたような2人連れが、その手術台を大急ぎで押しながらすごく真面目な表情で出勤している。バスに乗ったら前の席の普通の女性の頭に銀色の角が生えていた。それ以外は全くの通勤着だ。こういう振る舞いが許されるアメリカには、まだまだ余裕というものがあるのかもしれない。そして、子供たちが本当にそれを楽しみにしているのが見ていて微笑ましい。
リオのカーニバル姿で出勤する女性(後姿)
同上(前姿) 風邪ひくって。
だが、いいことばかりはない。その昔、1992年のことだけれど、ハロウィーンの夜に、ルイジアナ州で日本人留学生が、仮装して人家を訪ねたところ、侵入者と間違われて射殺された事件があった。日本人である僕らの感覚では何とヒドいことをするのか、と思うけれど、アメリカの銃社会の病理を、日本人の論理で批判しても、こちらではなかなか届かない部分があることも確かだ。なぜこんなことを言うかというと、とても心優しいアメリカ人と思っていた何人かに、家に銃があるか?と聞くと、護身用にあるよ、と何気なく答えるのを聞いたからでもある。銃所持の権利は、アメリカという国の根幹に触れる部分があるように思う。
さて、仮装に話を戻すと、その昔、今から10年ほど前、当時の「筑紫哲也NEWS23」のスタッフだった僕は、クソ暑い夏の日に、明日はアロハを着て出勤しようと申し合わせて、翌日、かなりのスタッフがアロハシャツを着て出勤してきたことがあった。その後もクソ暑い夏が続き、あしたは短パンで出勤しよう、とみんな(男ども)で申し合わせたが、僕のほかに4人くらいしか「短パン出勤」はして来なかった。当時はまだ、電車で短パン姿で通勤してくるのは結構恥ずかしかった記憶がある。日本にハロウィーンのような仮装出勤が現れることは、相当時間がたたないと無理かもなあ、と目の前の過激な仮装の人々をみて思ってしまう。
急患を搬送するような仮装でマジな表情で出勤する2人
すっげえ高いブーツをはいたノッポ男と小柄女性の出勤姿
(すべて筆者撮影)