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金平茂紀(かねひら・しげのり)
1953年北海道旭川市生まれ。1977年にTBS入社。以降、一貫して報道局で、報道記者、ディレクター、プロデューサーをつとめる。「ニュースコープ」副編集長歴任後、1991年から1994年まで在モスクワ特派員。ソ連の崩壊を取材。帰国後、「筑紫哲也NEWS23」のデスクを8年間つとめる。2002年5月より在ワシントン特派員となり2005年6月帰国。
報道局長を3年間歴任後、2008年7月よりニューヨークへ。アメリカ総局長・兼・コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に「世紀末モスクワを行く」「ロシアより愛をこめて」「二十三時的」「ホワイトハウスより徒歩5分」「テレビニュースは終わらない」「報道局長業務外日誌」など多数。
#26 「見えない鎖国」をしている日本
2010/07/27
アメリカへの日本人留学生の数が激減している。この世界不況じゃあ仕方がない、と言うのは早計だ。なぜならば、中国や韓国、台湾、シンガポールなどは逆に増えているからだ。日本だけが減っているのだ。アメリカへの留学生の数は、中国、インドが圧倒的で10万人規模。韓国も何と7万人もいる。いずれも増加傾向だ。日本は3万人を割った。14%減だという。ハーバード大学の場合、去年の海外留学生666人のうち、韓国からの留学生は42人、中国が36人、シンガポールは22人だった。日本はたった5人である。今年はもっと少なくなるそうだ。これは一体どうしたのだろう?
昔からのことわざには真理を突いているものがある。「かわいい子には旅をさせろ」。狭い日本から飛び出して、外から日本を見るといろんなものが見えてくる。自分の狭さがとてもよくわかる。自分たちの狭さ、限界を知ることはとても貴重な体験だ。グローバルに考えて、ローカルに行動する。これが今一番求められている生き方のスタイルのはずだ。なのに、どうして日本は極端に内向きになっているのだろう。まるで「見えない鎖国」をしているかのようだ。学生たちばかりを責めているのではない。企業やアカデミズムの世界も内向きになっている。何を隠そう、メディアの世界もそうだ。内向き内向きのネタばかり。
緑に包まれたコロンビア・キャンパス
海外に目が向かない社会は衰退する。自分たちの特殊な世界だけで充足して、独りよがりになりがちになる。先日、日本に一時帰国する機会があって、日本の空気を吸ってみて感じたことのひとつは、日本の特殊性にやたらと気づかされたことだった。日本にいては気づきにくい特殊性。それがとてもよく見えてくるようになった。たとえば、①街頭=公共空間にゴミ箱がない。人間が生きていればゴミが出る。それを捨てられる場所が公の場から消された。思えばきっかけは95年のオウム真理教事件だった。だがあれから何年もたっているのに、日本だけが路上にゴミ箱がないのはどういうわけだ。変だ。②公衆トイレがやたらと清潔だ。なかにはウォッシュレット完備というのまである。清潔感=無菌化傾向がやたらと強いのが日本の特徴だ。こういう無菌化社会は一見居心地がよいようにみえるが、気づまりなところがある。③みんなが一斉に同じことをやりだす。新型インフルエンザの時の全員マスク着用の異様な光景は、日本以外の地からはとてもその不自然さがよくみえた。
本当に緑のなかでボーっとしてたくなる。
僕には無菌化社会の行き着く先が、異質なものの排除という危険な兆候に結び付いていくような気がしてならない。大相撲のとばく事件の報道のされ方や、在日外国人に対する排外的な動きなどは、外からみていると、その特殊性がきわだっているのだが、関心領域が内側にしか向いていない日本人の多数派には、そのような特殊性を感知する能力が失われてしまっているのだ。
コロンビア大学の象徴=ライオン
多様性=diversityはニューヨークという町の最大の魅力だ。多様性は人間の可能性を押し広げていく。多様性の中で、このごろの日本は逆にどんどん引きこもっていく。残念なことだと思う。ガラパゴス島のように特殊な生物の進化を遂げればいいさ、とは僕は思わない。コロンビア大学の美しい緑のなかで集っている学生たちは実に多様なのに。そこに日本人がいなくなるのはさみしい。